2014年7月30日水曜日

レポート:余市蒸溜所への訪問4 ~発酵槽編~

その3の「糖化釜(とうかがま)編」に続き、余市蒸溜所の訪問レポートをお届けする。

今回は「発酵槽」編だ。発酵槽(はっこうそう)が担当しているパートはなにか?
それは、「アルコールをつくり出す工程」だ。

考えてみれば当然だが、麦を原料にウィスキーができるとき、ウィスキー工場のどこかで「アルコールをつくり出す」という工程が存在している。当然でありながら、どこかそれは神秘的な感じもする。植物の麦から、人に酔いをもたらす魅惑の液体が生み出される工程なのだから。

その工程の神秘は酵母(イースト)菌により生み出されている。甘い麦ジュースの糖分を、この菌が食べて活動するとき、アルコールが生み出される。菌は単一の種類ではなく、似たような働きをする複数種の菌が同時に存在している。この“複数の菌のコンビネーション”は蒸溜所によって違い、それぞれのウィスキーの味わいに影響をもたらしているらしい。目に見えない菌によってウィスキーの味わいに違いが生まれているなんて、なんと神秘的だろう。

さて、その神秘を写真で確認していこう。

クリーン(清潔)なステンレスのタンクが並んでいた

タンクには番号が振られている

タンクの上部へ移動してみた。タンクの中はどうなっているだろう
タンクに付いた覗き窓

中では菌が活動し、反応が起きている

ちなみに、菌はアルコールのついでに二酸化炭素も生み出す。実はウィスキーづくりのここまでの工程はほとんどビールの工程と似ているが、ビールがなぜ炭酸飲料なのかといえば、この酵母(イースト)の生み出す二酸化炭素が液体に溶け込んでいるおかげなのだ。なお、ここまでのアルコール度数も6~7%で、ビールとほぼ一緒。

「蒸留にモロミ、輸送後タンク、空 確認。」
「送り初めに自動で空になる。」とある

中が泡立っているのがわかるだろうか。
アルコールを生み出す酵母菌が活躍中の証拠だ。



中を照らすライト

こちらは泡立ちがだいぶん引いてきている。
酵母菌の活動が弱まってきた証拠だ。

この発酵槽の大きな役割は前述のとおり「アルコールをつくり出す」ことだが、実はもうひとつ、別の大きな役割がある。それは、アルコールを生み出した後に、われわれを楽しませる「フレーバー」を生み出すという役割だ。

酵母菌が活躍してアルコールが生み出されると、麦ジュースのアルコール度数と二酸化炭素濃度が高まる。酸素(O2)が少なくなると、酵母菌はだんだんと動きが鈍くなって、上の写真のように泡を出さなくなる。その頃から活躍するのが酸素(O2)が少なくても活躍できる「乳酸菌」だ。

乳酸菌は酵母菌の生み出したフレーバーを、さらに豊かなものにする。例えば、フルーツのフレーバーがついたり、まろやかな酸味がついたりと、ウィスキーの香味に大いに影響を与える成分を、乳酸菌はせっせと生成してくれるのだ。


タンクは40,000Lもの容積がある


続いて、ウィスキー工場見学の目玉である「蒸留」工程のレポートだ。








2014年7月26日土曜日

レポート:余市蒸溜所への訪問3 ~糖化釜(とうかがま)編~

日本最北のウィスキー工場である余市蒸溜所のレポートの「その3」をお届けする。

今回は「糖化釜(とうかがま)」編だ。ウィスキーの原料である発芽した麦には「デンプン」と、「デンプンを分解して糖分にする酵素」が含まれているが、これを「糖化釜」と呼ばれるでっかい釜で、お湯をつかってぐるぐるかき混ぜると、酵素がデンプンを分解し、糖分いっぱいの麦ジュースが生まれる。実はこの“糖分いっぱいの麦ジュース”が、ウィスキーのアルコールの元となる。

ちなみになぜお湯でかき混ぜるか?麦の酵素はある一定の温度で働く(=デンプンを分解する)ようにできているからだ。それを発見した人の観察眼はすごい。


一口に麦芽といっても、いろんな種類があって
ピートを効かせたものやそうでないものや・・・

香りをかいでみますか? 
これが麦芽粉砕機でみごとに粉砕された麦芽。やわらかそう。


ここからの写真は、麦芽がパイプを通って処理されていく様子を追って、上の階から下の階に降りていく。縦に長い工場だ。

上から麦芽を入れて・・・

これが麦芽粉砕機。麦芽を粉々にする。

粉々になった麦芽が下に落ちて・・
(黄色と黒の線は床。上の階と下の階を横から撮影)

こちらの「麦芽ホッパー」にたまる

麦芽ホッパー(写真右上)から、粉砕された麦芽が送り出されて・・・
by 箕輪ウィスキーアンバサダー

下のパイプから送られるお湯と混ざって・・・

粉砕された麦芽(銅色パイプ)とお湯(銀色パイプ)が混ざり合って・・・

糖化釜(とうかがま)でひとつになる。大きい。

糖化釜のマドを開けていただく。
あたりには甘い香りが立ち込めている

甘い香りの立ち上る糖化釜の中を見てみよう

あれがぐるぐる回ってかき混ぜるんですね。
中には、大量の麦汁(ばくじゅう)

麦芽のデンプンと酵素が混ざり合い、糖分が生み出される

これらの工程は機械制御により管理。机には電卓。

これで比重をチェックし、麦汁の糖度を測っている

このようにして、アルコールの元となる「麦汁(麦ジュース)」は作られる。




さて、アルコールのもととなる麦ジュースができたので、次の工程は「発酵」だ。麦ジュースをアルコールにする。


発酵槽編」につづく。











2014年7月25日金曜日

レポート:余市蒸溜所への訪問2 ~キルン塔編~

その1の「はじまりと役員室編」に続き、日本最北のウィスキー工場である余市蒸溜所のレポートをお届けする。

ウィスキーが製造される一番最初の工程として案内されたのは「キルン」という建物だった。キルンとは、麦芽乾燥塔(ばくが かんそうとう)のことで、ウィスキーの原料である麦芽を乾燥させるときに「スモーキー」なフレーバーをつけることができる重要な建物だ。

キルンを紹介してくださった

そもそもなんで麦芽を乾燥させるの?という疑問が湧いてくると思う。とつぜん専門的な話になってしまうので、ここではいったん遠回りのようだが、「ウィスキーが何によってできているのか」をざっくりと説明しておこう。そのほうが、快適に工場見学のレポートを読んでもらえると思う。

ウィスキーを分解すれば、3つの要素が浮かび上がってくる。 

ウィスキー = [ アルコール ] + [ 樽 ] + [ 時間 ]

原料の「アルコール」を「樽」に入れて、数年以上の「時間」をかけて寝かせておくと、魅惑的なコハク色のウィスキーとなる。ではその原料のアルコールはどうやって作っているのか?というと・・・

アルコール = [ 糖分 ] + [ 微生物 ]

「微生物」が「糖分」をエサにして活動したとき、副産物で生まれるのが「アルコール」だ。
ではこの微生物たちのエサとなる糖分はどこから取り出すかといえば?

糖分 = [ 麦のデンプン ] + [ 麦の芽(のなかの酵素) ]

麦はタネの状態では、胚と「デンプン」を持っているだけだ。そのタネが発芽するときに、蓄えていたデンプンを“芽”のもつ特殊な「酵素」によって分解して、「糖分」にする。しかし、このまま麦が成長すると糖分がなくなってしまうので、発芽した状態で麦の成長を止める。

麦の成長を止めるために、麦を乾燥させるのだ。この、発芽した麦(“モルト”と呼ばれるもの)を、乾燥させる建物が「キルン」だ。(やっとこの話に戻ってきた)

さて、キルンの中に

乾燥させる熱源の、燃料のピート(泥炭)を手にとって

意外と軽いんですよ~

こんなディティール。昔は石狩平野で採っていたらしい

これを炉の中に

燃えている。あゝスモーキーな香り。
このピートのお陰で、ウィスキーにスモーキーフレーバーが宿る。
建物の上部には乾燥させたいモルト(麦芽)がある

外から見ると、排煙する窓が開いている

昔、竹鶴政孝が設立した頃は、北海道の麦、石狩川の水、石狩平野の泥炭(ピート)でウィスキーを作っていたようだ。必要な原料は全てこの地でまかなえた。今は、余市も(そして世界的にほとんどの蒸溜所も)麦芽の専門業者からモルトを買い付けているので、このキルンは当時を偲ぶ象徴である。現在は実質の稼働はしておらず、博物館的な存在だ。

しかしながら、ニッカの方々の話を伺う内に、竹鶴政孝がこの北海道の地にこだわったひとつの理由に触れられた気がした。


さて次は「糖化釜(とうかがま)編」へと続く。









2014年7月21日月曜日

レポート:余市蒸溜所への訪問1~はじまりと役員室編~

日本で最も北にあるウィスキー工場といえば、ニッカの「余市蒸溜所」だ。

北海道の緯度43°11'に位置している。小樽とだいたい同じ、緯度43°04'の札幌よりは北だ。ちなみに東京駅が35°40'で、約8°差。この蒸溜所をおよそ80年以上前に設立した竹鶴政孝が、ウィスキー留学していたイギリスのヘーゼルバーンという街の緯度が55°42'だから、そことは12°差。

緯度なんて日常生活でほとんど気にならないし、私もこんなに「緯度」と書いたのは人生で初めてだけれども、この蒸溜所を1936年に動かし始めた竹鶴政孝にとっては、緯度は大切だったらしい。

彼はジャパニーズウィスキーの父と呼ばれている。単身イギリスに留学し、ウィスキーづくりを学び、現地の女性と恋に落ち、なかば駆け落ちで日本に帰り、日本初のウィスキー蒸溜所である山崎蒸溜所を立ち上げ、のちにニッカウイスキーの創業者となる。彼、竹鶴政孝とその妻リタとの物語については、とてもロマンティックで、今やこの蒸溜所を見下ろせる丘の上にある彼らのお墓でさえも、そこを訪れる人々をあたたかな気持ちにさせている。

さて、緯度の話にもどそう。彼が蒸溜所に求めた大切な要素は「スコットランドに似た気候と緯度」だったらしい。日本最初のウィスキー蒸溜所(山崎蒸溜所の緯度は34°53')の立ち上げという偉業を成し遂げてもなお、この思いが消えなかったというのだから、竹鶴政孝という男はきっと几帳面な職人気質だったに違いない。追い求め始めたらキリがないタイプだったのだろう。

この記事を書く1年前の3月31日に、私は余市蒸溜所へ行ってきた。行きの空港へ向かう道は薄紅の桜並木だったというのに、北海道についたら窓の外が真っ白に吹雪いていたのには驚いた。そんなわけでのほほんとした春気分から一転し、雪で空気の凛とした余市蒸溜所を見ることができた。

札幌駅から西の余市へ向かう電車の中から 石狩湾

建物が目に入った時、あっけないほど「こんなもんか」と素直に思った。意外と町中にあるなという感じで、パッと見はこじんまりとしている。こころのどこかで“北の大地、荒野に立つ蒸溜所”を思い描いていた私の期待はさらりと裏切られた。(しかし後で聞けば東京ドーム3個分もの敷地面積があるそうだ。それがそんなに広く感じられなかったのは、その時すでに北の大地のスケール感に目が慣れていたせいだったのかもしれない)

これが余市蒸溜所

雪とニッカウヰスキー株式會社
現地につくと、ニッカウイスキーのウィスキーアンバサダーの箕輪(みのわ)氏と、余市蒸留所の工場長である杉本氏(前チーフブレンダー)が出迎えてくださった。両氏とも大変お忙しい中、蒸溜所内をご案内いただける。今回は、ニッカを代表するお二人に一般非公開の部分も含めてご案内いただけるという大変光栄な機会に恵まれた。


ヒゲのおじさん(ローリー卿)のステンドグラス
「ニッカウヰスキー株式會社」という文字の刻まれたアーチ型の門となっている建物は、ニッカウイスキーの旧役員室だったようだ。まずはこの中へと招かれた。靴を脱ぎ、階段をあがると「ヒゲのおじさん」とも呼ばれているローリー卿(これが正式なお名前・・・)のステンドグラスを目にした。遊び心がいいじゃないかと微笑みながら、そのまま2階の役員室へ。

入ってすぐに、その空間の統一された美意識に気がついた。

聞けば、ニッカの出資者である加賀正太郎(かがしょうたろう)の連れてきたデザイナーの手によるものだという。デザイナーの名は角丸久雄(かどまるひさお)というそうなのだが、詳しい情報は調べてもわからなかった(誰か知っていたら教えてください)。
加賀正太郎というのは、大正から昭和にかけて活躍した事業家で、自ら別荘のデザインをしたり(現アサヒビール大山崎山荘美術館)、蘭(ラン)の栽培にも力を入れて蘭の画集を出版したりと、なかなかの粋人であったようだ。
竹鶴政孝の周りの人間は、出資者まで粋なのか、と感心した。

ニッカウヰスキー役員室(現在は使用されていない)
この部屋で竹鶴政孝はニッカの重要事項を決定していた

高い天井は洋館のノリだが、力強い梁(はり)が和を印象づける。

この素朴であたたかい照明も
竹鶴政孝がここで会議をした当時のままだろうか

2階の役員室の窓から蒸溜所内を眺める

緩やかなカーブを描く道と、均整のとれた建物群

北海道らしく動物の剥製などもあったが、・・・それはカット。
写真左は大きな暖炉。

役員室の暖炉のそばに置いてある南極の石。
ニッカは南極探検隊のためにアルコール度数70度のウィスキーを
つくったことがあるらしく、この石はそのお礼に探検隊から贈られたもの。
触ると“難局”を乗り越えられる・・らしい

今回は工場内部まで見せていただくため、ヘルメット着用

ウィスキー工場の見学に来たつもりが、うっかり役員室の話になってしまった。よく出来た役員室なので仕方がない。しかし、ここからが工場見学の本番である。