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活字とウィスキーと空席

拙著『Japanese Whisky』が出版されてより、数か月間。いろいろな方と語り合う機会に恵まれました。それは私の「バー体験」をより豊かにしてくれるものでした。
その経験を言葉にして、数人の方とシェアしていました。万人向けではないけれど、バーが好きな方の中にすこし共感があれば嬉しいです。




活字とウィスキーと空席


活字は踊る
本の上で
ブログから飛び出して

もともとそれは
バーの暗いカウンターの上で
ひらひらと踊っていたのだけど

きらきらひかるグラスと
ウィスキーのあやしい液体に
すっかり魅せられてしまった!

活字たちは気持ちが高ぶって
多くの人に会いに行こう!と思ったのだ

・・・それはやがて、
フランスでInstagramにのっかり
スコットランドでNewsになり、
アメリカでRetweetされる

もとはといえば、活字たちは、
ただの言葉
それも、他愛のない言葉

あるかどうかもわからない、
バーで流れるジャズの、音と音のスキ間に消えてしまう、
そんな他愛もない言葉

翌朝には忘れ去られてしまうだろう、
その言葉たち


活字たちはもともと存在しない


この街で行き交う人々が
どんなに忙しそうで、
どんなに暗い顔をしても、
あるいは楽しいことがあっても、
笑い声が聞こえたとしても、
それらはまるで風のように透明で、
よく考えれば、ふたしかな存在


行き交う人々のなかの
ひとりの若者が、
バーの重たい扉を開ける
するとそこには空席がある

その空席は語りかける

透明な風のような若者に、
「座っていけよ」と

若者はついその気になり腰掛ける

その若者は空席を喜ぶ
バーテンダーや常連客もきっと、
若者が空席に出会えたことを、
微笑ましく思っていただろう

空席がひとつ消えたとき、
若者には居場所が与えられる

透明な空っぽのグラスには、
ウィスキーが注がれる

若者の透明なこころに生まれたことばたちは、
やがて活字となる


すべては、
このバーで生まれた言葉たち!


活字と、ウィスキーと、空席は、
ひととおりの、物語

活字と、ウィスキーと、空席は、
ひととおりの、感謝のことば

「活字と ウィスキーと 空席」は、
あしたもつづく、素敵ななにか




クリスマス、とあるバーでは。

どこかにありそうなバーのお話。


街は早く暗くなり、旅人は雪の中を歩いておりました。道端の小さな看板の灯りが、旅人には少し暖かく感じられました。

旅人はいろんな街のバーに入ってきたので、彼が惹かれるバーが、自然と彼自身にはわかるのでした。

木製の少し重たい扉を開けると、そこにはカウンターだけのウィスキーバーがありました。


今宵、ウィスキーバーは、常連客によるパーティーをおこなっていました。ただし、このパーティー、他とちょっと違います。

あまり、皆、話さないのです。

バーカウンターには常連客の持ち寄ったボトルが並んでいました。客同士はときどき、会釈をして、グラスに静かにウィスキーを注ぐのでした。そして、旅人の観察によると、このバーでの静かな会話は、ウィスキーを飲んだ時の表情で成り立っていたのです。


そして旅人はすぐに理解しました。
ああ、他の人も旅人だったのだと。


その途端、旅人の耳には、にぎやかな話し声が聞こえてまいりました。


誰も知らない秘密の倉庫にボトルを数千本持っている人や、ウィスキーの歴史と共に歩んできた人や、ハンターのような人、それらの人を眺める人や、旅を始めようか悩んでいる人など、さまざまな旅のストーリーが、そこでは酌み交わされていたのです。


旅人がおどろいたのは、旅人のことを旅人以上に知っている、他の旅人がいたことでした。


じつは、旅人はときどき、大きな新聞に、小さな寄稿をしていたのです。

その分厚い新聞には、毎日、多くの情報が掲載されていて、1日かけてもその日の記事を全て読むことはできないぐらいでした。

だれが読むかどうかもわからない小さなスペースに、旅人は、旅とバーとウィスキーについて、数行の文章を綴っていました。

そして、どこから聞いたのか、別の旅人は、旅人のその小さな文章のことをよく知っていたのでした。


旅人は不思議に思って尋ねました。

「なぜ読んでくださっているのですか?」


すると別の旅人はこう答えました。

「じぶんの旅路と重ねているんです」



その晩、ウィスキーを好きな者にとってにぎやかに感じるそのバーでは、皆が笑顔でもう一杯を求め、何度も乾杯が繰り返されました。



街には雪が静かに降り積もっています。
道や看板や屋根にやわらかな雪が乗り、空には琥珀色の月が浮かんでいました。



おしまい









ある時代と、ウィスキー

とある国のとある街のとあるバーにて


「どうしてこうも変わっちゃったもんかねぇ」
とバーテンダーはグラスを拭きながらつぶやきました。
「近頃じゃウィスキーはみんなお金持ちの酒になっちゃったよ」
常連はみんなだまってうんうん頷いていました。


バーテンダーが続けて「昔はウィスキーをワンショットで出したもんだ」と言うと、若いお客さんは驚いたような笑顔になりました。
それを見た常連のひとりは「ダブルなんて言葉もあったな」と困ったような笑顔で返しました。

オーセンティックな木目のカウンターでは、お客さんはみんな小さなスポイトに溜まったウィスキーを、内側にたくさんの透明な突起のついた小さなグラスに向けて、高いところからポツリポツリと垂らしては、急いでその香りをかいでいます。

若いお客さんが
「僕知ってますよ。むかし、ウィスキーは飲み物だったんでしょう?」
と言いました。

「あの頃はまだたくさん作れてたからな」
と中年のお客さんが返します。

「でもあの頃のウィスキーは全部ちゃんと、銀行の金庫の中で眠ってるよ」
と説明を始めました。

「はい、地域と年代と熟成年数で基本的な価値が決まるんですよね?」

「もちろんそうだけど、どこかのバカな金持ちがこれを飲んじゃうと価値が上がってしまうんだ。あんな貴重なもんを飲むなんてバカだよな。で、銀行のウィスキーのボトルの値段が上がると、俺たちのスポイト一本の値段も変動するから困ったもんだ」

「それって連動してるんですか?」

「そりゃそうさ。どのバーも過去のボトルを担保にしてスポイトの仕入れをしなきゃいけないんだから。銀行の金庫にあるボトルの全体数が減ると、バーへのスポイト渋りがおこるからな」

「へぇー、なんだかよくわかりませんね」

「ま、難しい話で実は俺もよく知らない。でもな、ここのバーはすごいんだぞ。銀行にボトル担保を2本も入れてるらしい」

「え!2本も?」

「…しかも90年代って話だ」

「え?1990ですか?一体何者なんですか…」


バーテンダーは、少し離れたところでニコニコしながら話を聞いていました。

バーのいたるとこに雰囲気良く置かれたディスプレイには、海の底に沈んでしまったウィスキーの蒸留機の映像が映し出されています。

「もしそのボトルのウィスキーを飲んじゃったらどんな味がするんですかね?」

「そうだなぁ、考えたこともなかったが…ありがたすぎて味がしねえんじゃねえの?」

「ですよね。ボトルのウィスキーは飲むもんじゃないですよね。ちゃんと金庫におさめておかないと」



これはとある時代のとある街のとあるバーのお話。