レビュー:SMWS 春の試飲会 2015 ~12本のレビューを一挙掲載~

移り変わる季節ごとに開催される、スコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティの春の試飲会に行ってきた。(The Scotch Malt Whisky Society Spring Bottles Sampling)
5,000円(会員4,000円)でニューリリースのウィスキー12本が飲めるというイベントで、複数都市で開催されている。飲むといっても、まともに1杯ずつ飲んでいたら大変なので、実際には少量ずつ味わいを確認する。

世界最大のウィスキー愛好家団体といえばこの「スコッチ・モルト・ウィスキー・ソサエティ」だが――長いので呼称は「SMWS」とか単に「ソサエティ」とかが多い――蒸溜所に独自のコードをつけ、同じデザインのボトルで、中身だけ変えて会員に頒布している。その独特なボトルと「ソサエティ」という響き、イギリスはエディンバラに本部があることから、なんだかミステリアスな雰囲気が漂っている。


さて、今回も12本のウィスキーをランキング形式で一挙紹介する。

今回はどのようなウィスキーが?どのような香りが?
2015春のサンプリング会

第12位
55.25 Royal Brackla (ロイヤルブラックラ 1994 20年熟成)
【Kawasaki Point】
78point
【評価】
その香りは、黒タイヤ新品。鬱蒼とした森の中を散歩する。光は届かないがさまざまな香りに満ちている。
口に含めば、湿った土の上を踏みしめる。

同点第10位
85.30 Glen Elgin (グレンエルギン 1999 15年熟成)
【Kawasaki Point】
79point
【評価】
その香りは、蚊取り線香。
口に含めば、通り過ぎていく味わい。

同点第10位
123.9 Glengoyn (グレンゴイン 1998 16年熟成)
【Kawasaki Point】
79point
【評価】
漂う香りは、湖と夜中、黒い雲。
口に含んでみれば、湖に潜って、水が湧いてくるところが辿れるかのよう。

ほぼ同じボトルデザインだが、ボトルには蒸溜所を示す数字がある


第9位
7.104 Longmorn (ロングモーン 1989 24年熟成)
【Kawasaki Point】
81point
【評価】
グラスから立ち上る、スイカやブドウの瑞々しい香り。甘いガムすら彷彿させる。木材の角の部分に指を当てて、その直角さを味わいながら指で長辺をまっすくなぞる。
口に含めば、濃密な味わいが絡まって、ほどけずにそのまま徐々に消えていく。
謎めいたままのウィスキー。

第8位
3.228 Bowmore (ボウモア 1987 26年熟成)
【Kawasaki Point】
83point
【評価】
グラスに鼻を近づければ、保健室の消毒液。ヨード。古い軽油で動くエンジン。ガレージ。
古き良きボウモア。

同点第6位
4.200 Highland Park (ハイランドパーク 1999 14年熟成)
【Kawasaki Point】
85point
【評価】
グラスから立ち上る香りをそっと吸い込む。ブレッド、スウィートコーン、水時計。透明な着色液体が落ちるのをずっと見ている。切ったばかりの切り株。
口に含めば、スッキリしているのに血が踊るような熱さを秘めている。

12個のグラスが並ぶ

同点第6位
72.38 Miltonduff (ミルトンダフ 1984 28年熟成)
【Kawasaki Point】
85point
【評価】
香りの中を覗いてみる。アンティークショップの鉄とガラスの扉を開けると、古い木の香りがする。ドアにはベルが付いていて透き通ったような、くぐもったような音がなる。
グラスを傾け口に含めば、ダージリンティーと一緒に出された小さなクッキー。砂糖を一個紅茶に入れる。
ホッとする午後。

同点第4位
53.216 Caol Ila (カリラ 1993 21年熟成)
【Kawasaki Point】
86point
【評価】
グラスから立ち上るアロマは、牧草地、干し草。鍬。泥と野焼き。
口に含む。赤黒く日焼けした農夫の深い皺。優しい笑顔。

同点第4位
44.62 Craigellachie (クレイゲラヒー 1990 24年熟成)
【Kawasaki Point】
86point
【評価】
その香りをかぐ。夏、蚊帳、物語。い草と風鈴。涼しい風と心地よい眠り。
口に含めば、まるでハチミツを口の中で溶かしてるような。
うとうととして、心地よい夢を見続けていたいような。

参加者はさまざまに愉しむ

第3位
29.158 Laphroaig (ラフロイグ 2000 14年熟成)
【Kawasaki Point】
87point
【評価】
グラスから立ち上る香りをかぐ。万年筆の液が漏れて、原稿を拭いていると、チキンのグリルを少し焦がしてしまった。ログハウスでの出来事。
口に含む。映像は続く。棚の奥から出してきたウィスキーを、タンブラーで飲み始める。パイプをくゆらす。

第2位
48.52 Balmenach (バルメナック 2001 13年熟成)
【Kawasaki Point】
88point
【評価】
その香りは、扇風機とピーチ。冷んやりしたアイス。
口に含む。ずっと舐めていられるキャンディーを手に入れた子供のように。少しのキャラメルのコクも味わう。



さあ、今回の1位はなんだろうか?

酔っ払わないよう注意!

第1位
30.83 Glenrothes (グレンロセス 1980 34年熟成)
【Kawasaki Point】
89point
【評価】
グラスから立ち上るのは、ヴィブラフォンの右端を鳴らしたような透き通った香り。鉄のペダルを踏むとわずかに広がりながら倍音が響く。明け方の海岸で見つける火の跡。炭になってる木片を足で少しずらす。
口に少量含む。フェリーが通って波が大きくなり、水しぶきが口の中に入る。すこししょっぱい。
音楽になる静けさ。



サンプリング会は終わった。日が長くなり始めたこの頃は外がまだ明るい。少し肌寒いが、冬を思えばむしろ暖かささえ感じる。
振り返ってみて、今回はどのボトルもおおむね満足度が高かった。これはほとんどの参加者が感じたようだ。それでももちろん、各々が一押しにするウィスキーは異なっており、それぞれの意見を交換し合った。どの表現も素晴らしく、敬意を払われていて、参加者はウィスキーを愉しむのと同じぐらいその語らいも楽しんだ。




インタビュー:記憶のなかのマッサン ~竹鶴孝太郎氏に伺う~

昨年秋からNHKで『マッサン』が放映され、ウィスキーやマッサンのモデル竹鶴政孝に対する関心が高まっている。日本にウィスキーをもたらした男はどのような人物だったのか、愛妻リタとの暮らしはどのようなものだったのか。彼らはいかにして、日本のウィスキーの歴史をつくりあげてきたのか――等、興味は尽きない。

今年に入り、竹鶴政孝氏の孫にあたる竹鶴孝太郎氏にお話を伺う機会に恵まれた。すでに本ブログのFacebookページでは先行して投稿していたが、マッサンも最終回を迎えた今、いくつかのエピソードをひとつの記事で紹介しておこう。

(マッサンのモデル=政孝、エリーのモデル=リタ)

竹鶴孝太郎氏にお話をうかがった

◆ 政孝の言葉

香りは経験だ、味覚は経験だ


政孝は非常に個性的な男性でした。「香りは経験だ、味覚は経験だ」と言われました。特に「若い時の経験は非常に重要だから、今ここにいる自分を最も贅沢だと思え」とも言われました。というのも、余市の家ではいろんな野菜や果物を育てていました。畑には政孝の気に入ったブドウの苗や梨の苗(フランスやアメリカから持ってきた)が植えられていました。野菜や果物は土から、木からもいで味わったんですね。美味しくなる瞬間やまだそうでないとき、日々味わうことができました。その頃、「香りがお前の記憶に残る、このことが最も贅沢だ」と政孝に言われました。当時はわからなかったし、しばらく忘れていました。

このことは、大人になってから思い出されました。ところが、どこにいってもあの時の果物やトマトの香りがないんですよね。土から採るようなイチゴの香りも、もうない。ただ、その時の味や香りは、たしかに記憶に残っているんです。


写真を撮られるときは・・・


祖父が私によく言ったのは「自分の名前を書くとき、横文字、筆文字、これはしっかり書きなさい」ということでした。また、もうひとつよく言われたのは「写真を撮られるときにはポーズを決めなさい」ということでした。政孝の写真は比較的ポーズが決まってるんですよ。自分の姿を撮られる時のカタチをちゃんと決めときなさい、と言いたかったのだと思います。

彼が生まれて120年経ってますが、今でも皆さんに見られていることを思えば、大事なことだったのだなぁと感じます。

余市に飾ってあった政孝氏の写真(ウィスキーテイスティング中)
さすが、ポーズが決まってる。



◆ 北海道以前、リタとの結婚

マッサンを助けた阿部さん


彼は15の時には竹原(広島)に居て英語で文通をしていました。いずれは世界でという気概があったのかもしれません。その後恵まれた就職をして、摂津酒造の阿部喜兵衛さんが竹原に「政孝を留学させる。実家に戻って造り酒屋を継ぐのは諦めてくれ」と説得しているんです。その時、摂津酒造のお嬢さんと結婚するとかしないとか、そういう話があったというのは私も聞いています。

そして、しばらくすると、スコットランドに居る政孝から「結婚するけどいいか」、という許諾願いの手紙が竹原(広島の実家)と、摂津酒造(当時勤務)に届いた。でも考えてみるとその当時、手紙が来るだけで3ヶ月かかってるわけです。その間にどんどん進んでるわけです。だからいいかって言ったって承諾も何もないようなもんで、手紙が戻ってダメだと言った頃にはもう決めてるみたいな感じなわけです(笑)

だから阿部さんは、スコットランドまで行ってリタを見に行ったんですね。非常に良いお嫁さん候補で、いい人だ、ということで政孝の両親に「よい人だから認めてやって欲しい」という手紙を出してるんです。そして2人は日本に帰ってくるんです。

だから阿部さんはTVで描かれる(西川きよしが演じた)よりももっと、とても良い人で、政孝のためにいろいろやってくれた人でした。お嬢さんもその後養子を迎えられているんですが、実はあの後、帝塚山学院という学校にウチのおばあさん(リタ)は就職しているんですね。

最近わかったんですが、この帝塚山学院の理事に摂津酒造の阿部さんが居るわけです。ウチのじいさんはウィスキーづくりやらないと言われて摂津酒造を飛び出しちゃったわけですが、けれども阿部さんは気にして帝塚山学院で英語とピアノを教えたらどうかとリタに紹介してくれたんだと思います。

政孝氏のパスポート実物。余市ウィスキー博物館にて。




ウィスキーを仕込むとき以外は・・・


摂津酒造をやめて鳥井さん(ドラマでは「鴨居の大将」)のところ(壽屋)にいくというのはかなり抵抗があったみたいです。やはり競合に当たりますので。何度か打診があったが、ウィスキーを作れるんであればそこに行こうと思ったみたいですね。

実は、政孝は摂津酒造で赤玉ポートワインを作ってました。摂津が樽で壽屋に納品して、壽屋がボトリングして販売してました。ウチの祖父はあらゆる会社のブランドを手がけてたみたいです。意外とウィスキーだけでなく、ワインも赤玉ポートワインのようなものも広く手がけてたようです。

イギリスに行った時も、ボルドーやコニャックとかあっちの方にも足を伸ばしていたみたいです。ウィスキーを仕込むとき以外は、ヨーロッパも放浪してあちこち見ていたようです。




◆ 北海道へ


実は北海道を目指したのは・・・


実は政孝の兄、可文(よしぶみ)が北海道の北炭という会社で常務をやっていたため、北海道の情報があったんです。テレビではいきなり行く感じだが、実際にはツテがないと行かなかっただろうと思いますね。

当時北海道に行くには東京からでも汽車と連絡船で2日半かかったぐらい遠い地だったんです。だから大阪から行こうと思ったきっかけは、お兄ちゃんを頼った面もあると思います。


北の大地でウィスキーを作るという決意、その時代


北海道でいきなりウィスキーを作る、これはどういうことだったろうと想像します。当時、お酒は日本酒で、ビールだって贅沢品、ウィスキーになるとこれは何?という感じ。北海道で麦やピートが採れるからと言って、ピンとこないですよね。

私が生まれた昭和28年当時、まだ馬ソリが走っていました。雪が深く、子供の頃ですから胸の位置まで雪がありました。遠くからシャンシャンシャンと鈴の音が聞こえました。もくもくもくもく走ってくるんです。それが道産子の馬で馬ソリを引っ張ってくるんですけど、それによく乗っけてもらいました。

戦後8年経ってましたけど、まだ木炭車ってのが走っていまして、要するにガソリンがなくて薪でバスを走らせてました。または馬を前においてエンジンのない車を引っ張るんですね。それに乗っけてもらうという時代でした。

これを東京や他の地域の人にいうと、お前はどっから来たのと言われるんですけど(笑)、事実なんですよね。そういう環境でウィスキーを作る夢を語った。だれもが「この人おかしいんじゃないか」という反応だったろうと思います。


親をつかまえないと、その子供を自分の会社には勤めさせない


ウチはよく家に人が来ていました。麻雀大会をやったり、旅館のおやじと将棋を指したり、よくやってました。祖父が考えていたのは、人とどう交流を持って、自分のやりたいことを伝えていくかということでした。

よく言っていたのが「親をつかまえないと、その子供を自分の会社には勤めさせない」と。やっぱり彼も(北海道において)異邦人だし、その嫁さんはもっと異邦人なんですよね。だから、北海道の大地において最初にウィスキーを手がけるということは、人をどう集めるか、ということでもあったわけです。


余市工場はどこまで見据えていたか


ご覧になった方はわかると思いますが、ハッキリ言って余市の工場は余剰な投資ですよね。目指したのは本物なんですけど、やっぱり形から入らないと本物にはなれないということだったのかなと思います。(美しいキルン塔やスコットランド風の建物の数々は)工場を作るにあたっては不必要な投資だと思いますが、政孝自身も「こういうものを作るんだ」というのが自分でも確認できたんだと思います。

また、80年経ってますけど、今でも愛される建物になっているのかと思います。それはもしかすると、熟成させるウィスキーを作るのと同じ考えで、建物についても大きなスパンで考えていたのかもしれません。

美しい屋根の余市工場

彼は300年続く造り酒屋の子供ですけど、よく私に言われたのは「ウィスキーで100年とか150年とかは大して新しくもなんともないんだ。そんなの自慢するもんじゃない。やっぱり酒ってのは300年を超えないと1人前じゃない」ということでした。伝統ある造り酒屋の家に生まれたからこそ、彼自身“伝統”を作っていこうとした。それが余市工場に現れているのではないかと思います。



◆ くらし

リタはいつも・・・


リタはいつも正装して家の中にいました。リビングに居るときと個室に居るときを分けていました。個室に居るときはリラックスした格好でいたと思いますが、家族と会うときは服装は正装に近い状態でした。化粧もして、イヤリングなどアクセサリもつけて、靴も履いて、というのが日常でした。ですから、私のおふくろは結構苦労していました(笑)「朝早いのにお母さんはいつも口紅をつけて正装しているから困る」と言っていました。

旧竹鶴邸の窓から外を眺める


政孝の生活リズム


余市で(しょっちゅう人を招いて)麻雀をしているとき、おばあさんを紹介するという意味もありました。余市で、白人で金髪の女性に話しかける機会ってなかなかないと思うんです。家に招いて彼女が出てくればしゃべる、ということがあって、やはりおじいさんはリタと結婚したことで自分の生活も含めてリズムが変わったんだろうなと思います。



「竹鶴家」のくらし


――"竹鶴家”ってきっとかなり変わってらしたんでしょうね?
よくわかんないんですよね。あとで結婚して気がつくことが多かったです。テーブルマナーはナイフとフォークが先だったんですよ。箸は後で憶えました。朝食べるものが未だにご飯じゃななく、トーストとミルクティーとスクランブルエッグでした。旅館に行って初めて日本食を食べました。

――竹鶴家では当時からその朝食が当たり前でしたか?
ええ。だから、日本食は朝旅館でしか食べたことが無いです。結婚してから嫁さんが朝つくってくれたんですが、いやちょっとそれは食べられないわ・・と言ってパンにしてもらいました。気取って言ってるんじゃなくて、そういう家で育ったんですよね。

――(日本人である)お母様はだいぶ苦労なさったんでは?
ウチのおふくろはパン食なんですよ。これはいきさつがあるんですけど、おふくろは全く料理ができずに嫁入りしたんです。だからおばあさん(リタ)が全部料理を教えたんです。お米の炊き方から、みそ汁の作り方から、ローストビーフとかそういうもの全部。おふくろはそれをそのまま真似ました。クリスマスはローストビーフとクリスマスプディングなんです。お正月はおせちなんだけど、だいたいもらい物が多いわけですね。

――やっぱり当時としては変わったお家だったんですね。
ええ。ドラマの中でもウィスキートディってありますけど、あれ僕、飲まされましたよ。風邪引いたら風呂は入れって言われるんですよね。それからあれを飲まされるんです。アルコールは飛ばすんですけどね。


自分が飲まなきゃ誰が飲むんだ


――家ではウィスキーを飲まれてましたか?
祖父、祖母、おやじは飲んでましたね。おふくろは飲まなかったですが、3人が飲んでました。

――ウィスキーは食事中でしたか?
いえいえ、おじいさんはお風呂あがりはビールなんですよ。体を温めてビールで、枝豆で。食事の時は日本酒熱燗でした。彼は和食好きでした。食後は自家製のウィスキーなんです。自家製ってニッカウィスキーなんですけどね(笑)。飲み方は氷3つ入れて8オンスのタンブラーで、水入れて飲むんですけどね、彼いわく「量を沢山飲む人は、水割りとかで適度に薄めて飲むほうが体に良い。おいしく飲むならストレート、量を飲むなら水割り」という話をしていました。いつもハイニッカかノースランドの丸びんか。僕は生意気に「なんでそんな安物ばっかり飲むんだ」と訊いたんです。すると「自分は本物のウィスキーを安くみんなに提供することを目指してきたから、自分が飲まなきゃ誰が飲むんだ」と言いました。いつもそういうことを何気なく言うんですが、「高いものはおいしいものに決まってる。安くて美味いのが本物なんだ」とも言っていました。

非公開の旧竹鶴邸での一枚。政孝氏の寝室にて。


最期まで・・・


死にそうになった時でも病院でウィスキーを飲んでました。これは医者が「あなたに一番効く薬がウィスキーだったらしょうがない」と認めたんです。これはかつてないんです。これは後々おやじから聞きましたが、医者が「解剖させてくれ」といったそうです。結果はどこも悪くなかったようです。内蔵は悪くなかったようです。



「記憶のなかのマッサン」


――ドラマ『マッサン』が人気ですが、実際の政孝氏との違いは?
ドラマより気骨があってハッキリとした人でした。だから、僕が思うのは、鳥井さんとは絶対合わなかったと思います。だって生意気じゃないですか。よく鳥井さんは我慢したと思います(笑)真ん中がなく、白黒はっきりしてました。
それから、おじいさんは人ったらしだったと思います。ジジ殺しババ殺しで、お金集めるのが上手いわけです。ただ、嘘みたいな話を実現させる力があったと思います。北海道でウィスキー作るといったときは、みんな「そんな嘘みたいな話・・・」と思ってたと思いますよ。だからジュースでごまかして、ウィスキー工場を作ったんだろと思いますよ(笑)




お孫さんでないとわからない身近な存在としての政孝氏がよく伝わってくるお話だった。
ドラマをきっかけとして多くの方々が、ウィスキーという素晴らしい酒の魅力を追求したマッサンと、彼が惚れ込んだウィスキーそのものに興味をもつことはとても嬉しいことだ。
そういった方へ、この記事が少しでも役立てば幸いだ。




レビュー:オーヘントッシャン ブティック-Y 鉄を舐める・・・

Auchentoshan That Boutique-y Whisky Company(ザット・ブティック-Y ウィスキーカンパニーのオーヘントッシャン)を飲んだ。79点。
イラストが割とポップなボトラーのボトルだ。近年多くみられる、熟成年数は書いていないタイプ。オーヘントッシャン蒸溜所のさまざまな年数の原酒をブレンドしているのでは。

さて、このボトルはどのような香味だろうか。

ブティック-Yの オーヘントッシャン

【評価】
立ち上る香りは、アンティークのチェスト、黒い鉄の金具、スイカとピンクペッパー。
口に含めば、スパイスが効いたローストビーフ。ラディッシュ。鉄を舐める、ヒヤリとしつつ、ザラついている。
ポテトチップスやローストビーフと一緒に飲みたい。

【Kawasaki Point】
79point

【基本データ】
銘柄:Auchentoshan(オーヘントッシャン)
地域:Highland, ハイランド
樽:oak, オーク
ボトル:That Boutique-y Whisky Company, ザット・ブティークY ウィスキーカンパニー


ネクタイした男性の吹き出しにはカクテルのレシピ

スイカとピンクペッパー。

ポテトチップスやローストビーフと一緒に飲みたい。





レビュー:アードベッグ10年 釣り竿の先を・・・

Ardbeg TEN(アードベッグ 10年)を飲んだ。87点。
アードベッグは、ウィスキーの聖地とも言われるアイラ島にある8つの蒸溜所の内のひとつだ。(アイラ島はスコットランド本島の西にある、淡路島程度の大きさの島)
さて、このボトルの香味はどのようなものだろうか?

アードベッグ10年熟成

【評価】
グラスを傾け鼻を近づければ、風に吹かれて少し飛んだ灰、備長炭。イチゴ、オレンジの葉、海岸の波に濡れた砂。こってりとした青い空。
口に含めば、釣り船に乗って波に揺られる。細い糸を垂らして、釣竿の先を眺める。兆しはあるだろうか。小さなまな板でリンゴを切って、皮つきでかじる。
小さな島のある日の午後。

【Kawasaki Point】
87point

【基本データ】
銘柄:Ardbeg TEN(アードベッグ 10年)
地域:Islay, アイラ島
樽:oak, オーク
ボトル:Distillery Bottle, オフィシャルボトル


アードベッグの「A」のロゴ。渦巻き文様はケルト文化由来かな?


このデザインのパターンにも伝統を感じる

釣り船に乗って波に揺られる

小さなまな板でリンゴを切って、皮つきでかじる



アードベッグ蒸溜所はスコットランド本島の西に位置する。アードベッグとは、ゲール語で「小さな岬」。もし地図を拡大すれば海岸線まで確かめられる。