レポート:余市蒸溜所への訪問7 ~旧竹鶴邸編~

その6に続き、日本最北端のウィスキー工場、ニッカの余市蒸溜所への訪問をレポートする。
前回の「熟成編」で「ウィスキーづくり」の工場見学は終わっているのだが、ニッカのご厚意で、一般非公開の「旧竹鶴邸」を見せていただけたことに触れない訳にはいかない(玄関のみ一般公開)。ジャパニーズ・ウィスキーの父、マッサンこと竹鶴政孝の暮らした家には、彼の人柄や、哲学に触れる貴重なシーンがいくつもあったからだ。

ジャパニーズ・ウィスキーの父、竹鶴政孝が日本で成功した背景には、スコットランド人のリタの存在が不可欠である。彼らのラブストーリーなしには、日本のウィスキーは語ることができない。1920年に半ば駆け落ちで国際結婚したふたりの暮らしや志が、日本のウィスキーの歩みとも重なるのである。
政孝がスコットランドのローモンド湖畔を背景に、リタにプロポーズしたとき「君が望むならここに留まる覚悟だ」と伝えたが、リタはそれを辞して「あなたには大望があるはず。私達は日本に行くべき」と返した(当時、英国人であるリタのその決断は相当な勇気が必要だったに違いない)。もしもその時、リタが「ではここスコットランドで暮らしましょう」と言い、政孝もウィスキーづくりの夢を諦めていたら、今の日本のウィスキーはないのである。

今回は、ウィスキーづくりそのものではなく、日本にウィスキーをもたらした偉人、竹鶴政孝とその妻リタの素顔に迫りたいと思う。

一般公開部分の正面玄関

洋風な外観

正面玄関ではなく、勝手口からごめんください。

まずは台所から。日本語が全く話せなかった英国人のリタが、どのように日本に馴染もうとしていた(そしてしっかり馴染んでいた)のかがうかがえる。

台所(家事室)兼お手伝いさんのダイニング。
一部家電は新しいものに置き換えられているが単に雰囲気を出すための展示である
電子レンジの右上に見える窓はメインダイニングとつながっており、
今で言うカウンターキッチンのようなものだ。

この窓をスライドして、食事をメインダイニングへと渡す

テーブルの上に飾られた写真
真ん中の女性が竹鶴政孝の妻、リタその人
キャプションは下記の言葉。
「台所でのリタ。タクアン好きの政孝のために、
冬になると1年分のタクアン三百数十本を4斗樽、2斗樽に漬け込んだ。
ヌカと塩の按配も良く大変おいしいタクアンだったという。」

使い込まれたテーブル


貴重なツボ。中身は「梅干し」
以下はキャプション。

リタ婦人が漬けた梅干し
(1950~54年頃)
竹鶴威(※ブログ著者註釈:政孝とリタの長男)の回想録
「ニッカウヰスキーと私」より
『数年前、余市の実家で荷物の整理をしていたとき、
高さ30センチ位の壺が見つかった。
何が入っているのだろうと開けてみると
表面に塩の結晶ができた梅干しが少し残っていた。
リタおふくろが漬けたものだ。
おふくろが亡くなって(注)33年が経ち、
晩年は東京と余市を行き来していたので、
作る機会ははなく、
間違いなく40年以上も前のもので、まさに希少品。
私は幾つかをガラスビンに入れ、大切に持ち帰った。
(注)1961年1月 64歳で永眠』

政孝のためにおいしい梅干しをつくったリタを偲ぶ

窓の外は白い雪

メインダイニングに移ってきた

リビングのテーブル
テーブルの上には政孝がリタに贈った本が展示されている

H.G ウェルズの自伝的小説「KIPPS」(1905出版)を政孝がリタに贈っている
政孝の直筆メッセージは下記の通り
(政孝が“マッサン”と呼ばれていたことがわかる資料だ)

To
myown ever loving wife
Rita
from your Beloved
Husband
Massan

The day before you left Japan
31 Jan 1925

私の永遠に愛する妻 リタへ
君の愛する夫 マッサンより
君が日本を発つ前に 1925年1月31日




マッサンのクローゼット。コレはかなり貴重。
ほとんどメディアに登場したことがないのでは

生で見た感想は「よい生地だなぁ」ということ

当時の日本人にしてこのセンス

ツイードはスコットランド産だろうか

かなり良い状態のヴィンテージ生地
このヘリンボーンは手織りだろうか

この写真を撮った時、自分たちの生み出したウィスキーが
こんなにも世に受け入れられることを
本人たちは想像していただろうか

政孝の居室(和室)

竹と鶴の掛け軸。苗字「竹鶴」にかけた遊び心。

政孝の愛飲したスーパーニッカ
毎日飲んでいたらしい

畳縁をよく見ると、おや、縦は竹・・・それから横は、鶴?
どうやら特注らしい。政孝はこだわり派の粋人である。

政孝の和室の畳縁の「竹」

政孝の和室の畳縁の「鶴」

政孝の居室から外を見る

北海道の厳しい寒さ対策。
寝るときにこれで冷気を遮断していたらしい。
工夫の人。




リタさんが亡くなってから、出不精の政孝は
居室の「ふすまを開けたらすぐトイレ」を作ってしまったらしい
(存命中はリタさんに怒られるから作らなかった)
ぶっ飛んでいるところもあったようだ

月似明(明るさ月に似たり) ・・・出典不明

竹鶴政孝の写真。
竹鶴邸は西洋風で土足が基本であったとのキャプション



リビングのローテーブル

欄間にも鶴が

リタが弾いたピアノ(本物。当時のまま)

これは・・・楽譜の裏の落書き

ピアノの前のリタの写真
以下はキャプション

ピアノを弾くリタ
日本に来た頃、しばらく大阪の私立中学で英語教師をしていたが、
得意のピアノも教えていた。余市に来てからもレッスンはかかさず、
この家からピアノの響きがなくなることはなかった。

竹鶴がニッカを創業するずっと前から、
リタは英語やピアノを教えて家計を支えたという。
当時、そういった習い事のニーズがあったのは上流階級だったので
後のニッカの出資者もその縁で出会うことができた。
ピアノはリタがマッサンを支えた証拠のひとつなのだ。

いかがだっただろうか。なんにつけ“こだわり派”で粋人の竹鶴政孝と、それを支えた愛情深いリタとの暮らしぶりを少し垣間見ることができたのではないだろうか。
この余市蒸溜所への訪問シリーズも、本編をもって終了する。あなたが余市蒸溜所へ行くことがなかったとしても、日本のウィスキーの父がどのような人であったのか、余市ではどのようにウィスキーが作られているのか、参考になれば幸いである。

また、これを見て、実際に北海道の余市蒸溜所へ訪問する方もいらっしゃるだろう。本ブログでは一般非公開も含めてご紹介したが、一般公開の部分もすべてを掲載できているわけではなく、無論、その香りや熱などの情報は現地でしか伝わりようのないものだ。なにより、竹鶴がウィスキーづくりを夢見て辿り着いた北海道余市の「空気」を胸いっぱいに吸い込むのは、ウィスキーに対する感性を豊かにしてくれる体験であると断言できる。


今宵も、よいウィスキー体験を。


※尚、大変好評につき、おまけ編「マイウィスキー・博物館・旅の終わり」編を近日UPします。








レポート:余市蒸溜所への訪問6 ~熟成編~

その5に続き、日本最北端のウィスキー工場、ニッカの余市蒸溜所への訪問をレポートする。
今回は「蒸留器編」につづき、ウィスキーづくりの最後のパートである「熟成」だ。

ウィスキーのもっとも神秘的なパートであり、多くの人を惹きつけてやまない魅力であり、最高の価値、それはウィスキーができるまでに費やされた「時間の価値」だ。ウィスキーは最短でも3年ほどの時間を費やす。長熟と呼ばれるウィスキーになれば20年以上の時間がこの「熟成」に費やされる。麦をあれこれする時間はほんの数日だから、ウィスキーづくりの99%以上は「時間をかけ待つ」ことに費やされているのだ。

時間が、樽の中の“その液体”に力を与え、何かを奪い、何かを足していく。それは日々、年々、おこなわれていく。短いほうが良いとも、長いほうが良いとも言い切れない。短すぎればトゲトゲしいかもしれない、長すぎてはパワーが足りないかもしれない。程よく短ければフレッシュで力強い、程よくながければ複雑なニュアンスを持ちながらも主張がはっきりしているだろう。それはウィスキー個別に違っており、とても複雑で、なにが正解とは言えない。若い時にさっぱりダメなウィスキーも、そのまま寝かしていれば、素晴らしい香味を放つかもしれない。樽に詰めた時点では、そのウィスキーの価値は決まらず、まだ勝負がわからない。生まれでは決まらない、人間に近しい酒と言えるかもしれない。だからウィスキーを飲むときには、そのウィスキーの費やしてきた年月に、思いを馳せずにはいられなくなる。
3月末の雪の残る余市蒸溜所

きれいな空。そしてきれいな空気。

並ぶ建物は、すべてウィスキー貯蔵庫だ。

鍵のかかった扉を開ける。一般非公開。
暗い空間にウィスキーが眠っているのだ。

土間(下は土)に木を敷いて、その上にウィスキーが眠る。

見上げると梁はこうなっている

木造であることが湿度に影響を与える
1987年、この年の余市はWWAでワールドベストを受賞している。
日本のウィスキーの素晴らしさが広まった歴史的年だ。 
木槌でポンポンっと。するとフタが開く

ノージングさせてもらった。素晴らしい香り!
余市の繊細さとスウィートさ、そして力強さが完璧なバランス

眠る樽

夏と冬で樽は呼吸をする。
夏は樽の中の息を吐き出し、冬は外の空気を取り込むのだ。
これが、余市のウィスキーは余市で眠らせなければならない理由。
余市の空気、気候、すべての影響を受けさせるからだ。

フタ。木と布。



土間にしているのも湿度を高く保つためと言われる

このなかに大量のウィスキーが眠っている

ここの空気を吸って余市のウィスキーは育っていく

 いかがだろうか。動きがなく、とても静かでゆったりとした時間が流れているのを感じていただけただろうか。ここまでの工程は、煙でいぶしたり、お湯でかき混ぜたり、アルコールを生み出したり、それをぐつぐつ煮て蒸留したり、非常にアクティブな時間だったが、この「熟成」というパートだけは違う。何が違うか?それは人間の手を離れていることだ。管理できる余地はほとんどなく、人間は長い時をかけて見守るという決心してそれを受け入れるしかない。
そしてその「時間」がウィスキーを神秘的で魅惑的な酒にさせる。

この「熟成編」でウィスキーづくりの工程の紹介は終わりだ。ウィスキー製造工場としての機能はほぼ紹介した。しかし、この蒸溜所訪問レポートはあと少しつづく。

この素晴らしい蒸溜所をつくったマッサンこと竹鶴政孝と、その妻リタとの思い出に触れない訳にはいかないだろう。「旧竹鶴邸編」へとつづく。









レポート:余市蒸溜所への訪問5 ~蒸留器編~

その4の「発酵槽編」に続き、ニッカウイスキーの北海道工場、余市蒸溜所の訪問レポートを掲載する。今回は「蒸留器(じょうりゅうき)」編だ。

ウィスキー蒸溜所の中で、一番華やかな工程と言っても過言ではないだろう。
なんせウィスキー工場は「蒸溜所」と呼ばれるぐらいで、ウィスキー工場とは「蒸留をするところ」なのだ。この蒸留という工程が、ウィスキーを“香水のような神秘的な香りの爆発をする液体”に昇華する。

さて「蒸留(じょうりゅう)」とはどういった作業だろう?ちょっと説明しておこう。

蒸留の目的は、麦ジュースからウィスキー原酒を取り出すことだ。
ではどのような方法でウィスキー原酒を作るかといえば、下の図のように、

  1. 蒸留器(ポットスチル)の中に、
  2. 醗酵しアルコールを含んだ麦ジュース(ほとんどビールのようなもの)を入れて、
  3. ぐつぐつ煮る
  4. そして、「アルコール」や「香り成分」を蒸発させる
  5. それらを空中に放つ代わりに、冷やして、濃縮液(ウィスキーの原酒)を取り出す
という方法だ。(似たようなことは理科の実験でやったことがあるかもしれない)

蒸留のモデル図

この作業を2回くりかえし、アルコール度数は元の7%から、なんと60%程度へと一気に高められる。また、香り成分もぎゅっと濃くなり、さまざまなニュアンスを持つようになる。これがウィスキーが「生命の水」と呼ばれる由来だ。英語では蒸留酒はスピリッツspiritsとよばれるが、精霊とおなじ綴りと発音だ。火をつけると燃えるのは、火の精がいるから・・・そう考えられていたという説がある。錬金術士が生み出したこの蒸留器(ポットスチル)という不思議な装置は、神秘的なイメージをまとっていたのだろう。


では現代の余市蒸溜所ではどのように「蒸留」がおこなわれているか?実は、今どき珍しい「石炭による直火蒸留」だ。これは、“マッサン”こと竹鶴政孝がイギリス留学した当時は一般的な製造方法だったのだが、今ではより効率的なスチーム蒸留に主流が移っている。余市ではこの「石炭直火」が、ウィスキーに良い影響を与えると信じ、やり方を変えていない。

下のほんの17秒の動画を見てほしい。蒸溜器の並ぶ部屋全体の様子がわかる。



複数の蒸留器が並んでいるのがわかるだろう。蒸留器により味の個性も変わると言われている。

まさに火を使う、直火蒸留

スコップで石炭を取り出し

炉の中に職人技で投げ込む

あかあかと燃える火

職人が炉の中へ何気なしに石炭を放るのを、間近で撮影した。ぱちぱちと燃える石炭の音も愉しんでほしい。


ちなみに、現場はなかなかの温度だ。思わず蒸留器に見とれていると、焚き火にあたっているような熱量が顔を直撃する。

ポットスチルは銅製で、ウィスキー色なのだ

燃えている。この火がウィスキーの「余市」をつくる


閉じた炉

創業当時の一号機。竹鶴政孝も何度も触ったことだろう。

ポットスチルの上部を見るために上がってきた。一般非公開、感謝。

“スワンネック”と呼ばれる蒸留器の上部

それぞれのポットスチルの形は微妙に異なる

箕輪アンバサダーとポットスチル。大きさが想像してもらえると思う。


この入口から、掃除のために中に人が入ることができる


蒸留器の温度計。真正面から撮影。

ここは蒸気を噴出するところ



まだ新しいポットスチル。きれいな銅色だ。

蒸気の噴射口

上部のパーツ(スワンネック部)だけ新しい



石炭と使い込まれたスコップ



直火蒸留をおこなう余市のポットスチルには、こげつき防止の「底板」がある。蒸留器(ポットスチル)の底で、プロペラがぐるぐる回って、麦ジュースをかき混ぜてこげつきを防止するのだ。残念ながら底板そのものを見ることはできないが、外から底板をどうやって回しているのかがわかる動画がこれだ。(ちょっとマニアックだけれども)



さて、いかがだろうか。蒸留というウィスキーづくりで一番華やかなプロセスの雰囲気が伝わっただろうか。
この次の工程は、ウィスキーづくりの中でもっとも長い時間を使う「熟成」だ。