日本で最も北にあるウィスキー工場といえば、ニッカの「余市蒸溜所」だ。
北海道の緯度43°11'に位置している。小樽とだいたい同じ、緯度43°04'の札幌よりは北だ。ちなみに東京駅が35°40'で、約8°差。この蒸溜所をおよそ80年以上前に設立した竹鶴政孝が、ウィスキー留学していたイギリスのヘーゼルバーンという街の緯度が55°42'だから、そことは12°差。
建物が目に入った時、あっけないほど「こんなもんか」と素直に思った。意外と町中にあるなという感じで、パッと見はこじんまりとしている。こころのどこかで“北の大地、荒野に立つ蒸溜所”を思い描いていた私の期待はさらりと裏切られた。(しかし後で聞けば東京ドーム3個分もの敷地面積があるそうだ。それがそんなに広く感じられなかったのは、その時すでに北の大地のスケール感に目が慣れていたせいだったのかもしれない)
現地につくと、ニッカウイスキーのウィスキーアンバサダーの箕輪(みのわ)氏と、余市蒸留所の工場長である杉本氏(前チーフブレンダー)が出迎えてくださった。両氏とも大変お忙しい中、蒸溜所内をご案内いただける。今回は、ニッカを代表するお二人に一般非公開の部分も含めてご案内いただけるという大変光栄な機会に恵まれた。
北海道の緯度43°11'に位置している。小樽とだいたい同じ、緯度43°04'の札幌よりは北だ。ちなみに東京駅が35°40'で、約8°差。この蒸溜所をおよそ80年以上前に設立した竹鶴政孝が、ウィスキー留学していたイギリスのヘーゼルバーンという街の緯度が55°42'だから、そことは12°差。
緯度なんて日常生活でほとんど気にならないし、私もこんなに「緯度」と書いたのは人生で初めてだけれども、この蒸溜所を1936年に動かし始めた竹鶴政孝にとっては、緯度は大切だったらしい。
彼はジャパニーズウィスキーの父と呼ばれている。単身イギリスに留学し、ウィスキーづくりを学び、現地の女性と恋に落ち、なかば駆け落ちで日本に帰り、日本初のウィスキー蒸溜所である山崎蒸溜所を立ち上げ、のちにニッカウイスキーの創業者となる。彼、竹鶴政孝とその妻リタとの物語については、とてもロマンティックで、今やこの蒸溜所を見下ろせる丘の上にある彼らのお墓でさえも、そこを訪れる人々をあたたかな気持ちにさせている。
さて、緯度の話にもどそう。彼が蒸溜所に求めた大切な要素は「スコットランドに似た気候と緯度」だったらしい。日本最初のウィスキー蒸溜所(山崎蒸溜所の緯度は34°53')の立ち上げという偉業を成し遂げてもなお、この思いが消えなかったというのだから、竹鶴政孝という男はきっと几帳面な職人気質だったに違いない。追い求め始めたらキリがないタイプだったのだろう。
この記事を書く1年前の3月31日に、私は余市蒸溜所へ行ってきた。行きの空港へ向かう道は薄紅の桜並木だったというのに、北海道についたら窓の外が真っ白に吹雪いていたのには驚いた。そんなわけでのほほんとした春気分から一転し、雪で空気の凛とした余市蒸溜所を見ることができた。
札幌駅から西の余市へ向かう電車の中から 石狩湾 |
建物が目に入った時、あっけないほど「こんなもんか」と素直に思った。意外と町中にあるなという感じで、パッと見はこじんまりとしている。こころのどこかで“北の大地、荒野に立つ蒸溜所”を思い描いていた私の期待はさらりと裏切られた。(しかし後で聞けば東京ドーム3個分もの敷地面積があるそうだ。それがそんなに広く感じられなかったのは、その時すでに北の大地のスケール感に目が慣れていたせいだったのかもしれない)
これが余市蒸溜所 |
雪とニッカウヰスキー株式會社 |
ヒゲのおじさん(ローリー卿)のステンドグラス |
「ニッカウヰスキー株式會社」という文字の刻まれたアーチ型の門となっている建物は、ニッカウイスキーの旧役員室だったようだ。まずはこの中へと招かれた。靴を脱ぎ、階段をあがると「ヒゲのおじさん」とも呼ばれているローリー卿(これが正式なお名前・・・)のステンドグラスを目にした。遊び心がいいじゃないかと微笑みながら、そのまま2階の役員室へ。
入ってすぐに、その空間の統一された美意識に気がついた。
聞けば、ニッカの出資者である加賀正太郎(かがしょうたろう)の連れてきたデザイナーの手によるものだという。デザイナーの名は角丸久雄(かどまるひさお)というそうなのだが、詳しい情報は調べてもわからなかった(誰か知っていたら教えてください)。
加賀正太郎というのは、大正から昭和にかけて活躍した事業家で、自ら別荘のデザインをしたり(現アサヒビール大山崎山荘美術館)、蘭(ラン)の栽培にも力を入れて蘭の画集を出版したりと、なかなかの粋人であったようだ。
竹鶴政孝の周りの人間は、出資者まで粋なのか、と感心した。
ウィスキー工場の見学に来たつもりが、うっかり役員室の話になってしまった。よく出来た役員室なので仕方がない。しかし、ここからが工場見学の本番である。
入ってすぐに、その空間の統一された美意識に気がついた。
聞けば、ニッカの出資者である加賀正太郎(かがしょうたろう)の連れてきたデザイナーの手によるものだという。デザイナーの名は角丸久雄(かどまるひさお)というそうなのだが、詳しい情報は調べてもわからなかった(誰か知っていたら教えてください)。
加賀正太郎というのは、大正から昭和にかけて活躍した事業家で、自ら別荘のデザインをしたり(現アサヒビール大山崎山荘美術館)、蘭(ラン)の栽培にも力を入れて蘭の画集を出版したりと、なかなかの粋人であったようだ。
竹鶴政孝の周りの人間は、出資者まで粋なのか、と感心した。
ニッカウヰスキー役員室(現在は使用されていない) この部屋で竹鶴政孝はニッカの重要事項を決定していた |
高い天井は洋館のノリだが、力強い梁(はり)が和を印象づける。 |
この素朴であたたかい照明も 竹鶴政孝がここで会議をした当時のままだろうか |
2階の役員室の窓から蒸溜所内を眺める |
緩やかなカーブを描く道と、均整のとれた建物群 |
北海道らしく動物の剥製などもあったが、・・・それはカット。 写真左は大きな暖炉。 |
役員室の暖炉のそばに置いてある南極の石。 ニッカは南極探検隊のためにアルコール度数70度のウィスキーを つくったことがあるらしく、この石はそのお礼に探検隊から贈られたもの。 触ると“難局”を乗り越えられる・・らしい |
今回は工場内部まで見せていただくため、ヘルメット着用 |
ウィスキー工場の見学に来たつもりが、うっかり役員室の話になってしまった。よく出来た役員室なので仕方がない。しかし、ここからが工場見学の本番である。